U p d a t i n g t e x t
個展 | 山をくずして
世の中の大きな出来事と押し寄せてくる不安感は濁流のようで、到底自分事としては飲み込めず、ただ過ぎ去るのを待つしかない。事の大きさに反比例するかのように目を向けるのは、例えば洗い浚われた石の欠片のような、価値を見いだせない些細な存在だ。
我が家の庭と隣接する裏山が、自分と他の存在を意識しながら思考する場となっている。
抜いても生えてくる不死身の雑草、土の下でウネウネと這う虫、鳥達は変わらず元気にさえずり、新しくできた獣道と残っている臭いが来訪者を知らせる。
小さいとされる営みは思った以上に私を癒し救っている。
米・野菜・肉をバランスよく摂り、毎日の生活を営んでいく。元は何だったのか分からない入り混じった滓を、まるで他人事のようにトイレで排泄する。
美味しいところだけ有り難くいただいてきたのは、自分の制作においても同じように思う。
腹の中に収めて分かったかのように振る舞っているがやはり分からない。だから、分かりたくて崩し解き、解している。
小さくて大きい、ぐちゃぐちゃと錯綜する関係、その糸屑の絡まりみたいなものを自分事 として抱える術が、私にとっては絵を描くことだと思う。
形を変え何度も姿を現す植物の不死の様に、人間中心の感情を虚しく送り届けながら。
茶臼山を刻々と削り崩していく獣に、人間との近くて遠い境界を思い知りながら。
でも、描くだけではなんの理解にも免罪にもならない気がする。
目でみて、手を介して、行為してみることは、ある種の消化吸収のようだ。解り合えない諦めは目詰まりとなって消化不良を起こす。
管からようやく出てきた滓は部屋の片隅で堆積して山となり、いよいよ行き場がない。
汲み取られたものはその昔、価値ある資源として取引されていたそうだ。
ここにあるのは還元した滓でもある。解れ落ちたくずを掬い集めて延ばし、とるに足らないような些細な一面を自宅の庭で生産した。
以前、不幸にも轢死した鹿を土中に埋めたことがある。その時、自分の身体も同じように なる可能性を知ると共に、そうあってはならないとされる人間の世界で生きていることに、不自由な境界を思った。
土の上に存在する、固く締めかためられた世界のすぐ真下には、元は何だったか分から ない入り混じった物が普通に存在していた。
大きくて小さい、遠くて近い、固くて緩い、括りきれないことが山のようにある。
身近にある存在を縒り入れては出し、毎日の営みの糸を繰り返し紡いでいったとき、すぐに解けてしまうような結び目を作ることほど価値のない事も、もしかしたら意味があるのかもしれない。
Photo:Jun Sakamoto
山の土、川へ
自宅裏にある茶臼山はいつも賑やかで、私はこの地を離れられない。
季節の草花は競うように立っては譲り、ある日人間にバッサリと刈り崩される。コゲラの軽快なドラミング、風になびいてこすれる葉音なども、窓を抜けて耳に心地よく入る。
夜になると獣たちが徘徊し、土を掘り崩していくつも穴をあける。穴と穴を繋ぐように線が生まれ、ジグザグの獣道となる。
この山は大雨で崩れる危険をはらんでいる。滝のような雨が天から降って、土が両手を広げて自分を飲み込んでいく想像を毎年思い抱く。怖くて、しかし小さな営みは尊く、離れがたい。
デルタ地帯に築かれた広島の都市。
この土の塊はきっとはるか昔に、北の方角から流れきて堆積した岩石の一部でもあるかと思うと、自分が住んでいる点のようなこの場所が、北へ面となって遠く広がっているような印象を持つ。
有機物を分解し、植物を育み、“次”へとつなげる地としての土をいただき、ふるいにかけ熱処理して顔料としても用いる。
動物の皮などから抽出したコラーゲンで作られる膠で絵具を溶くと、動植物、微生物…目に見えるもの、見えないものが混濁した絵具ができる。
川の道 | River road
私の故郷・岐阜の山奥も、ここ飯南のように自然豊かで人も穏やかな場所だ。
岩間を流れる清流に心惹かれ、動植物とも近しい関係で生活を営んでみたくなるのは、人生の約半分を折り返したことによる気持ちの変化なのだろうか。
私が今住んでいる瀬戸内側とここ中国山地の山あいは距離は離れていても、縫うように流れる“ 川 ”という存在での結び付きは強かった。
手にした本を読み進めると、山間部の各地では花崗岩から良質な砂鉄が採取でき、大量に切り出した木材を薪としてたたらで精錬した。
大変な労力で山肌を削り出し、水の流れで分級して比重の違いを生かしながら砂鉄だけをより集める「かんな流し」が盛んに行われた。
私が制作する日本画では、粉末状に砕いた鉱石や土を絵皿に取り、膠という展色剤と混ぜ水で溶いて使うが、
皿の中で水と粒子が混濁し沈殿していく様は、このかんな流しの現象を想起させる。
作品で絵の具として用いた土は、私が中国山地の各地に立ち寄って採取したものだが、砂鉄をより分け絵筆にとって描きながら当時を想像すると、
今の長閑な風景とは少し違う無機質さを伴った地がうっすら見えた気がした。
土地の隆起が山と谷をつくり、川の流れが産業や人々の営みの基盤に大きく作用したことに比べたら、
私が手元で描いているものはとても小さな点のようである。
上流~下流、過去~現在、距離や時間といった大き過ぎるものを前に、私個人が小さく刻むことしかできなくても、
点が幾つか集まることで見える線とはどんなものか、想像が及ばないからこそ作ってみたいと思う。
old line
川の河口は干満の影響を受けて、川水と海水がぶつかり混ざり合います。下流へと流れていった波が、ある時には遡上し帰ってくる様を見ていると、
時間を巻き戻すように自分が生まれるずっと前へ、過ぎ去った時間を遡ってみたくなった。
川はかつては道としても機能し、多くの船が行き来して山間部と沿岸の都市部を繋いでいた。そのイメージは広島市公文書館所蔵の絵葉書などを辿ると見えてきた。
今は穏やかで平らな川面の波線は、きっと昔は山がいくつもある荒々しい線を刻んでいたのだろう。
公文書館で運よく見せてもらえた絵葉書が、古い太田川を顧みる窓のように思えた。
mountain debris
太田川の上流、中国山地では、かつて多くの場所で砂鉄採取が行われていた。
山を切り崩して出た土砂を、水とともに流し比重を生かして砂鉄を集める。
長い年月、川を伝ってきた土砂の堆積が広島市の地と成り、その上で私は暮らしている。
この作品では、実際に庄原市三河内にある「かんな残丘」で採取した土を絵具として使用した。
土の中に磁石を入れると、わずかながら砂鉄を含んだ砂粒がくっついたが、
当時の人が生活のために無我夢中で集めた砂鉄と、不要なものとして流していった土砂との対比を、土をより分ける行為の中で思い知ることができた。
再、循環
日本画制作で用いる素材は、和紙、墨、膠、筆、
鉱石を砕いて作られる岩絵具や、土由来の顔料など
植物や動物といった自然資源を加工して作られたものが多い。
和紙に描いた作品に水分を与え、緩めた上で水で洗うと、容易に各素材ごとに切り離され、定着していた和紙から分解される。
支持体である和紙は、たんぱく質を分解すると元の“繊維”段階にまで逆戻りし、美しく仕上げられた和紙が植物繊維の絡まりで形を成していることを確認できる。
自宅の庭が実験場
裏山に、人気のない郊外に、私の背丈をゆうに超えて立ち靡いている草。それらの植物を貫いている繊維を取り出し、こまかく砕いて水に溶かし、掬い上げるだけで、描き留められる支持体ができることに、心動かされている。
分解していくと、今まで表面しか見えていなかったことに改めて気づく。
自宅の庭に水を張った桶を置いている。
夏の日差しを受けて濃い緑色を帯びレチング(発酵精錬)は進んでいく。その水場に毎年シオカラトンボが姿を見せる。
芒、アメリカフジ、葛…。草を刈り、煮て叩き、ミキサーにかけてバラバラにする。植物を見て描くだけでは分からなかった、表層の奥の複雑な形、線。
《 紙をつくる、とは 》
広島県で唯一手漉き紙作りの伝統が残っている大竹市。作業の見学だけではなく、体験もできる「おおたけ手すき和紙の里」へ。
地元で栽培された楮とトロロアオイで作られている。
地区の歴史から、原料や工程の一つ一つについて、親切に教えてくださいました。